田屋城

口の丸

【道案内】

高島市役所支所(旧マキノ町役場)から県道287号で700m程南下して右折します(左手に長法寺有り)。300m程西進して右折し、600m程西進して右折し、道なりに左カーブします(道路に城の案内有)。右手に極楽寺を過ぎ、更に500m程西進した突き当たりが登城口です。登城口付近に1〜2台分の駐車スペースがあります。
獣避けのフェンスを越え、20分ほど登るとつづら折れの道の左手や右手に竪堀が見えます。登りきると櫓が建っている口の丸に到着し、南側に城址碑があります。ここから琵琶湖が目の前に見え、眺望が素晴らしくて気持ちよいです。口の丸の東と西に土塁が巻いた郭があり、これらの南側には竪堀が何本かあります。口の丸の西側の郭の南西下には馬蹄形の堀もあり、その南に堀切があります。この北の郭にも土塁があり、西側には竪堀があります。更に北にも奥の丸という郭があり、立派な内枡形虎口が見られます。この奥の丸が主郭かと思うのですが、変わった縄張をしていてどうもハッキリ分かりません。口の丸と奥の丸の間の東側に幅の広い竪堀があり、奥の丸の北には見応えたっぷりの竪堀が連続してあります。更に北には食い違いになった堀切もあり、ここから少し離れた先にも堀切があります。竪堀、土塁など全体に見応えのある遺構がしっかり確認できて、とても楽しめるお城です。
【感想・メモ】
登城口の地図
城跡の地図
別名
所在地 高島市マキノ町森西
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 観応3年(1352)頃
築城者 饗庭命鶴丸
歴代城主 饗庭、清原、田屋
形式 山城(比170m)
登城口から口の丸まで約25分
訪城日 2008/6
たやじょう
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奥の丸内枡形虎口

【歴史】
観応3年(1352)頃、足利尊氏の側近饗庭命鶴丸が築城したと言われ、応永年間(1394-1428)清原蓮廉が城主だったと伝えられる。その後、浅井亮政の女婿である田屋氏が入った。田屋氏は長法寺館を居館とし、田屋城を詰城とした。元亀年間(1570-73)、浅井氏と結んで織田氏と争ったため廃城となった。

南西端の堀切

連続竪堀