太山寺城 |
2分も歩くと、右手にかなりスゴイ堀が2本連続で延々と続き、この付近から寺域だったのか?と思いました。ここから10分弱で阿弥陀山の説明板があり、更に5分歩くと正面に太山寺城が見えると表示があったけど、どの山かさっぱり分からず。そこから3分程で今度は土橋のような所を通り、その先の城跡案内に従い左手へ進みます。更に5分程で小川の前に説明板があり、この正面に竪堀が見えます。城跡はこの正面の小山。この付近、林道を造っているようで工事中でした。ここから川を渡って登っていくと右手にさっきの竪堀が見えます。更に進むと登り口があり郭に出ますが、この付近は石がゴロゴロしていました。主郭の南にある郭の南側には堀切があり、主郭にはお寺の跡なのか一段高い部分があり、石積みもありました。城跡だけでなく、城跡までの道のりも何となくお城っぽい雰囲気で楽しめました。 |
健康の森梅ノ子運動公園から県道23号で2km程北西に進んだ「広瀬橋バス停」を過ぎてすぐの路地を左折します(「泰山寺町」案内有)。2km程南西へ進むと左手に東屋があります。ここが登城口で、矢印に従い東屋の裏手を左へ進みます。東屋付近に駐車可能です。 |
説明板(正面に竪堀)
主郭南郭の南の堀
14〜15世紀初頭、高島七頭の横山・田中・朽木氏のいずれかが築城したといわれている。高島七頭とは、鎌倉・室町時代を通じて高島南部を支配した武士団七家のことで、いずれも近江守護職であった佐々木信綱を祖とする近江源氏の同族である。信綱の孫・頼綱(朽木氏)の二子が分家して横山氏・田中氏を称した。太山寺城は、これら横山郷と田中郷の境界にあり、この付近にあったとされる太山寺は朽木荘に属していた。そのため、この城は三者間の境目の城としての機能を優先していたのか、または横山氏・田中氏のいずれかが詰城もしくはかくし砦として使用していたと思われる。(現地説明板より) |
鳥瞰図(現地説明板より)
主郭
東屋(登城口)
別名 | |
所在地 | 高島市安曇川町田中 |
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、竪堀、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 14世紀末 |
築城者 | |
歴代城主 | |
形式 | 山城(比130m) 登城口から主郭まで約30分 |
訪城日 | 2008/4/5 |
たいさんじじょう |