登城口の地図
勝楽寺城
別名 正楽寺城
所在地 甲良町正楽寺
遺構等 曲輪、土塁、石垣、竪堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 応安元(正平23、1368)
築城者 京極道誉
歴代城主 京極
形式 山城(比150m)
訪城日 2004/10/10
【道案内】

【感想・メモ】
しょうらくじじょう
【歴史】
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国道307号「金屋」信号を東に入ります。名神高速をくぐったら、路地を右に入ります。あとは道に正楽寺の案内もあるのでそのまま進みます。正楽寺から勝楽寺城への案内が出ているので、山を登ります。正楽寺城参拝者用無料駐車場を利用するとよいでしょう。
登り始めてすぐの経塚から奥の山へ行く間が草ボウボウで、ススキが背丈より高く伸び、視界をさえぎられて歩きにくかったです。ひたすら山を登っていき、右手に曲輪のようなものが見えてきたら倒木が2本あり、木の上を歩いて通りました。痩せた尾根を歩くと右手(南)に櫓台?の雰囲気が。登ってみるとまだ先にも道がある。お城の案内は左手になっているから、そっちへ行くと左手に竪堀2本を確認し、主郭虎口がありました。本当は、主郭の下には石垣があるみたいだけど、スゴイ藪で確認できず。主郭には土塁が少しだけ残っていました。城址碑が2つあったようですが、どちらも字が既に消えていて見えない。古い説明板が隅に捨てられていて可哀想だったので、2つの碑にぶらさげておきました。主郭の北へ行くと、琵琶湖の方まで展望がよく気持ちいいです。サイコーと思いながら更に北へ行くと見晴し台があり、説明板がありました。その先は、また藪で特に何も見えなかったので引き返しました。うーん、畝状竪堀も見えなかった。
応安元年(正平23、1368)、京極道誉が甲良荘の領地と館を守るため、高築豊後守に命じて築城させた。その後、織田信長によって落城し、麓の勝楽寺と共に灰燼に帰した。