大森陣屋 |
別名 | |
所在地 | 東近江市(八日市市)大森町 |
遺構等 | 移築門、碑 |
現状 | |
築城年 | 明暦元(1655) |
築城者 | 最上義俊 |
歴代城主 | 最上 |
形式 | 陣屋 |
訪城日 | 2005/12/3 |
おおもりじんや |
名神高速道路「八日市インター」を下り、国道421号を東進します。600m程東進した「林田町」信号を右折し、県道46号に入ります。1.2km程南下した「大森町」信号を過ぎ、更に100m程南下した道路左手に碑があります(玉緒小学校の向かい側)。この付近が陣屋跡です。 |
特に遺構はないのですが、碑があるとのことで玉緒小学校の横の碑をまず見に行きました。その後、東近江市(蒲生町)石塔町860にある石塔寺へ移築門を見に行きました。 お寺は何かイベント?でもあるのか、門の前に看板があり、それがちょっと邪魔だなぁと心の中で叫んだ不届きモノです。 |
最初は大森布施氏の居館があった。出羽山形城主・最上義光は関ヶ原合戦の戦功により52万石を領したが、元和3年(1617)、義光の孫・義俊が幼少で家督を継いだためお家騒動が勃発し、元和8年、最上氏は所領没収となった。幕府は最上義俊に近江蒲生郡に1万石を与え、義俊はこの地に陣屋を構えた。寛永8年(1631)、最上義智の時に5千石を削られ、以後5千石の交代寄合(旗本)として明治を迎えた。 |