小倉城 |
主郭から東方約150mの堀切
県道217号「小倉バス停」から300m程北上した付近(宝泉寺から約200北)から東側にかけてが城跡です。城址碑付近の余白に駐車可能です。 |
小倉バス停から200m程北上した突き当たり正面に城址碑と小倉源氏発祥地の石碑があります。ここを左折して坂を上がっていった左手が主郭で土塁と空堀が巡っています。ここから100m程東進すると土塁が取り巻いた曲輪が東西に2つあり、その東側にもあちこちに土塁が点在していて楽しめます。ただ夏で藪が多かったのが残念です。 |
主郭から東方約150mの土塁
城址碑と
小倉源氏発祥地の石碑
別名 | |
所在地 | 東近江市(愛東町)小倉町 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、碑 |
現状 | 山林、公園 |
築城年 | 承暦年間(1077-81) |
築城者 | 小倉景実 |
歴代城主 | 小倉 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2008/7/19 |
おぐらじょう |
小倉城は、承暦年間(1077-81)に清和源氏の後裔小倉景実が背後に鈴鹿山脈を擁し、眼下に愛知川を望む天然の要害に築いた城塞で、その下には城下町が開けていた。以後、約500年間、小倉源氏は次第に勢力を伸ばし、愛知・神崎・蒲生3郡の東部を領し、21の出城を構え、佐々木・蒲生両氏の隣強と雄を競っていたが、永禄年間(1558-70)に小倉氏で内乱が勃発し、第17代城主・良秀が敗れ、城は焼失し、同族は各地に散逸した。(現地説明板参照) |