鈎陣屋 |
別名 | |
所在地 | 栗東市(栗東町)上鈎 |
遺構等 | 土塁、堀、説明板 |
現状 | 永正寺 |
築城年 | 土塁、堀、説明板 |
築城者 | 足利義尚 |
歴代城主 | 足利 |
形式 | 陣屋 |
訪城日 | 2006/4/2 |
まがりのじんや |
国道1号「上鈎北」信号から450m程南下した「上鈎南」信号を右折し、1本目の路地を右折します。200m程進んだ2本目の路地を左折し、200m程行った突き当りを右折します。そのまま200m程直進すると正面に「永正寺」があり、ここで道が行き止まりとなります。この永正寺が陣屋跡で、お寺に駐車スペースがあります。 |
永正寺に土塁、空堀が残り、お寺の山門前に説明板があります。土塁は思った以上にしっかりと、しかも長く続いており、L字型になっています。お寺の前の竹薮にも空堀が残っていますが、スゴイ竹で入り込むのが大変です。 |
応仁元年(1467)、京都で勃発した応仁の乱はたちまち諸国に波及し、近江においても激しい戦いが繰り広げられた。長享元年(1487)7月、時の将軍足利義尚は総勢数千の兵を自ら率い、近江へ六角定頼征伐の出陣を行い、同年10月坂本から琵琶湖を越え鈎の安養寺に陣をおき、その後安養寺から20町余り離れた真宝館へ陣所を移した。その陣所跡に建てられたのが現在の当寺と云われている。江戸時代に描かれた「寺内村由来図」によれば、陣所は土手と堀水に囲まれ「本丸」、「二の丸」の中心部とその外側の「三の丸」からなり、敷地は東西114間、南北120間余りと記載されており、陣所の規模を知ることが出来る。(現地説明板より) |
陣所平面図(現地説明板より) |