朽木氏岩神館 |
お寺裏手の墓地から土塁が見えます。土塁の上へ立つと、しっかりとした横堀が続いているのが見え、西から南へ折れています。この南側にはどこからか水が湧き出ているのか水が流れており、その先は池のようになっていました。この興聖寺は旧秀隣寺庭園が有名で、朽木氏の菩提寺です。せっかくなので、庭園も見て行きましょう。 |
別名 | 岩神殿 | ||
所在地 | 滋賀県高島市(朽木村)朽木岩瀬 | ||
遺構等 | 土塁、空堀、屋敷跡、庭園 | ||
現状 | 興聖寺 | ||
築城年 | 承久3(1221) | ||
築城者 | 佐々木信綱 | ||
歴代城主 | 佐々木、朽木 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2010/9 | 感想 | ○ |
くつきしいわがみやかた |
国道367「市場」信号から南下し、左手に「道の駅くつぎ新本陣」を過ぎ、更に300m程南下して斜め右へ入ります(旧道)。500m程南下した右手に興聖寺があり、ここが館跡です。興聖寺に参拝者用無料駐車場があります。 |
承久の乱(1221年)の戦功により朽木荘を得た近江守護佐々木信綱は、守護職を三男泰綱(六角氏祖)に譲り、承久3年この地に居館を構えた。その後、孫・義綱の代から朽木氏を称し、代々続いて明治を迎えた。享禄元年(1528)、朽木植綱が都より逃れた将軍足利義晴のために館を建てた他、義澄・義輝・義昭も京の戦乱から逃れこの地に身を潜めた。慶長11年(1606)、朽木宣綱が亡妻のためにこの館跡に秀隣寺を建てたが、後に秀隣寺は移転し、興聖寺が建てられた。 現地説明板参照 |