公方屋敷 |
屋敷跡はとても広く、井戸や古いお墓があります。説明板は古い杉の木の前にあります。南側の山に入ると狭い郭と土塁がありました。ここから西へ約200mに公方屋敷支城、東北東の山頂は殿山城です。 |
別名 | |||
所在地 | 滋賀県甲賀市甲賀町和田 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、横堀、井戸、説明板 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 室町時代末期 | ||
築城者 | 和田伊賀守惟政 | ||
歴代城主 | 和田伊賀守惟政 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2010/1 | 感想 | △ |
くぼうやしき |
JR草津線「油日駅」から南へ約700m。油日小学校から県道51号を700m程南下した左手の「和田」バス停を左へ入ります(バス停に公方屋敷の案内有)。道なりに少し東へ行った正面やや左手に説明板が見えます。ここが屋敷跡です。 |
室町将軍足利義昭が一時居住し、当時将軍は公方と呼ばれていたことから公方屋敷と呼ばれた。室町末期は政権が不安定で将軍義輝が三好、松永等によって殺害され、永興福寺一乗院の門主足利覚慶(後の義昭)は身の危険を感じ当地城主和田伊賀守惟政に奈良から脱出させてもらい、この屋敷に逃げ込んだ。その後、和田氏領地の野洲矢島に移り、信長によって室町幕府最後の将軍として奉じられて上洛した。 |