碑の地図
肥田城
別名
所在地 彦根市肥田町
遺構等 土塁、堀、碑
現状
築城年 文亀3年(1503)
築城者 高野瀬備中守隆重
歴代城主 高野瀬
形式 平城
訪城日 2004/10/30
【道案内】


【感想・メモ】
ひだじょう
【歴史】
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JR稲枝駅から東へ約1.5kmにある肥田公民館に城址碑があり、隣の崇徳寺は肥田城主の菩提寺です。国道8号「沢」信号を西へと県道204号に入ります。600m程進んで「三津町南」信号を左折し、「京橋」で宇曽川を渡ります。150mほど行った路地を右折して県道204号をキープし、100m程行った右手に肥田公民館があります。ここには城址碑があるのみで、ここからもう少し道なりに西進すると一面田んぼになります。この付近が城跡です。
本来の城跡は公民館より西の田んぼの中のようですが、とりあえず城址碑で写真を撮り、お隣のお寺へ。山門がカッコよく、歴史資料館という表示があります。どれが資料館なのか??中の普通の家みたいに見える所??とよく分からないまま城主の墓を見て帰りました。
文亀3年(1503)、六角氏の命で高野瀬隆重が築城した。城主・秀隆の時、浅井氏に与したため、六角義賢(承禎)に水攻めされた。永禄12年(1569)、織田信長に敗れ開城し、天正2年(1574)には信長の臣・蜂屋頼隆が入り、天正11年の秀吉政権下では長谷川秀一が入城した。長谷川秀一は文禄の役にて朝鮮で病死し、慶長年間(1596-1615)廃城となった。