| 千早城 |
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| 別名 | 金剛山城 |
| 所在地 | 千早赤阪村千早 |
| 遺構等 | 郭跡、碑、説明板 |
| 現状 | 千早神社 |
| 築城年 | 元弘2(1332) |
| 築城者 | 楠木正成 |
| 歴代城主 | 楠木 |
| 形式 | 山城(比250m) |
| 訪城日 | 2006/11/18 |
| ちはやじょう |
| 国道310号で河内長野市小深地区の「小深」バス停付近から東へと府道214号に入ります。1.5km程行って「新千早トンネル」を抜け、突き当たったら右折して、府道705号に入ります。そこから900m程行くと「金剛山登山口」バス停があります。このすぐ横が登山口です。周辺に有料駐車場があります。 |
| 約560段もの階段を登ると、馬の背状の尾根筋に広場や茶店があり、ここが四の丸です。堀切跡(階段)を隔てて城址碑がある所が三の丸で、一段高い位置が二の丸、神社の本殿がある所が本丸です。二の丸や本丸と書かれた小さな札がさりげなくあったのが嬉しかったです。 |
| 元弘元年(1331)、上赤阪城・下赤坂城を築城した楠木正成は、翌元弘2年、詰の城として千早城を築いた。下赤坂城を落とした鎌倉軍は、勢いに乗じて千早城を攻めたが、ゲリラ戦法などを用いて僅か千人足らずの兵に翻弄され攻略は失敗した。以後、楠木氏の拠点となったが、明徳3年(1392)、楠木正勝の時に北朝方の畠山基国に攻められ落城し、廃城となった。 |
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