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別名 |
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所在地 |
京都府南丹市(八木町)八木町本郷 |
遺構等 |
曲輪、土塁、堀切、櫓台、天守台、石組、井戸 |
現状 |
山林 |
築城年 |
室町時代 |
築城者 |
内藤備前入道 |
歴代城主 |
内藤 |
形式 |
山城(比220m) |
訪城日 |
2011/5 |
感想 |
★ |
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主郭 |
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JR山陰本線「八木駅」から南西へ約700m(春日神社北西)の高速をくぐった所が登城口で、城は南西の城山です。高速をくぐるトンネルを城門のようにしており、トンネル手前に説明板が、トンネル手前の三叉路に十字架の石碑があります。登城口付近に駐車可能です。 |
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登城道は整備され、麓に屋敷跡があります。主郭からの眺望は良く、西側に土塁があり、周囲には石垣が残存しています。南の虎口も明瞭で、金の間から途中岩場を下っていった南尾根には内藤土佐の郭があります。主郭の西側は馬屋でその先に土塁がしっかり取り巻いた郭があり、この背後が大堀切で、その西が内藤和泉の郭です。ここから南西尾根へ進むと水が溜まった窪みの先が八木玄蕃の郭となります。この郭の先(内藤法雲の郭)、ハイキングコースはあるものの酷い藪です。道が二手に分かれるので、右手(北西)へ。段郭が続き、先端に堀切があり、石積みも見られます。先程の二俣を左手(南西)へ進むとこちらにも石積みや堀切がありますが、この堀切や先端の郭には意味不明な岩をくり貫いた穴が幾つもありました。古墳跡なのでしょうか?また、馬屋の西側から北尾根へ進むと土塁がしっかりした内藤五郎の郭があり、堀切を隔てて並河重郎の郭があります。この北尾根にも岩をくり貫いた穴が幾つもありました。また、登城道の途中にあった対面所(大八木但馬)は堀切や西方に土塁がありますが、結構藪で歩きにくいです。尾根があちこちにあり全体を見るのに3時間以上歩き回って疲れ果てました。 |
【歴史】 八木城は、八木南西部に位置し、京街道を眼下に望む口丹波隋一の要害である。丹波国内では、八上城、黒井城と並んで三大城郭の一つと言われ、中世の山城としては有数の規模を誇る。丹後守護代内藤氏の居城として伝えられ、15〜16世紀に丹波地方の中心として機能した。戦国時代、キリシタン武将としてルイス・フロイスとも親交のあった内藤如安は有名で、文禄・慶長の役のおり、明側との交渉に当たった。城は、明智光秀の丹波侵攻により没落したが、江戸時代に亀山藩が幕府に提出した絵図の模写によると、最高所の本丸は四方に野面積みの石組みが描かれている。また、本丸の南西端に金の間と書かれた一段と高い部分が張り出しているが、これは天守閣の祖形と考えられる。 |
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主郭北の石垣 |
西尾根の堀切 |
南西尾根(南城)の堀切 |
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北尾根・内藤五郎郭 |
対面所堀切 |
登城口近くの十字架 |
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