藁無城 |
写真2(沢を渡って右へ)
南斜面の石積み
写真1(電力会社の札を下る)
城跡北の鉄塔まで道があり、鉄塔から南へ進むと堀切があります。この先、郭内は藪で見にくく、削平が甘かったり、西側は崩落なのか窪みがあったりでよく分かりません。一番南が主郭で、周囲に石がゴロゴロしており、主郭南の腰曲輪の南斜面にちょっとした石積みが見られます。また、南東麓の林松寺は館跡といわれています。 |
別名 | 藁無高山城 | ||
所在地 | 南丹市(園部町)園部町船岡河谷 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、石積み、堀切 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 室町時代 | ||
築城者 | 内藤氏 | ||
歴代城主 | 内藤氏 | ||
形式 | 山城(比120m、標270m) 治宮神社から城跡北の鉄塔まで約20分 |
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訪城日 | 2011/4 | 感想 | △ |
JR山陰本線「船岡駅」から北西へ約750mの林松寺、治宮神社背後の山が城跡。治宮神社に駐車させて頂き、神社東側道路を150m程北へ歩き、電力会社37番(写真1)を下り沢を渡って(写真2)右へ。約10m先を左手の山へと鉄塔道を登ると城跡北側に建つ鉄塔に至ります。 |
築城などについては詳細不明。『広瀬家文書』には、永禄2年(1559)夏、藁無城主内藤季有が杉崎大和守と共に氷上郡の赤井氏を味方として桑田郡小川村で八木城主内藤宗勝と戦ったが、赤井氏が八木方に寝返ったため季有は敗れ、波々伯部光好が仲介して季有と大和守は宗勝と和議したとある。また、永禄7年春、小山の郷土某が藁無城主内藤季行が謀反を企てていると八木城の内藤和泉守に告げたため、城主宗勝は和泉守に兵を従わせ藁無城を攻めたとある。 参考資料 『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
北端の堀切
わらなしじょう |