宇津城 |
城の南に桂川が流れ、周山街道も通る水陸の要衝に位置した宇津城は、宇都頼高が築城したと伝えられる。宇都氏は頼夏・頼高・頼重と三代にわたって明応−弘治(1492-1558)に至る約60年間、嵐山城主伊達弘忠・弘季・正隆三代と仇敵関係にあったが将軍足利義晴によって和解した。大永6年(1526)宇都頼高は川勝大膳と共に細川高国に味方しているが、桂川表の戦いに敗れ退却した。宇都嶽山城を本城としていた宇都氏はこの頃東方の山に宇津城を築いたと思われる。天文年間(1532-55)頼重の代には松永久秀でも宇都氏の強大な力を抑止できなかったという。天正年間(1573-92)、明智光秀の丹波入部により、天正7年7月19日、宇津城は戦わずして開城した。光秀は宇津城を大改修すると共に、周山城を築いた。 参考資料 『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
主郭東の石垣
道が分からなかったので、神社右手背後から山に取り付き、直登しました。急勾配でかなりしんどいです。途中、堀切があり、登りきると主郭南の郭で、上方中央部に石が入った虎口があります。主郭北東には土塁があり、東側には石垣が残っています。東中央付近の窪みは井戸跡でしょうか?主郭の北に郭が2つ続き、その先にも堀切があります。 |
別名 | 宇都城 | ||
所在地 | 京都府京都市(京北町)右京区京北下宇津町 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、竪堀、石垣 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 戦国初期 | ||
築城者 | 宇都頼高 | ||
歴代城主 | 宇都氏 | ||
形式 | 山城(比150m、標356m) 八幡神社から主郭まで約25分 |
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訪城日 | 2011/4 | 感想 | ○ |
国道477号「京北宇津郵便局」から100m程西進して北へと府道364号へ入り、1.5km程道なりに進んだ右手に八幡神社があります。この神社裏山が城跡で、付近の余白に駐車しました。 |
うつじょう |