太閤堤 |
別名 | 乙方遺跡 | ||
所在地 | 京都府宇治市莵道丸山 | ||
遺構等 | 石積み | ||
現状 | |||
築城年 | 文禄3(1594) | ||
築城者 | 豊臣秀吉 | ||
歴代城主 | 豊臣秀吉 | ||
形式 | 堤 | ||
訪城日 | 2007/10/27 | 感想 | ○ |
たいこうつつみ |
京阪電鉄「宇治駅」から北西へ約300m、「三室戸駅」から南西へ約300m。「莵道稚郎皇子御墓」の西側。 |
文禄3年(1594)、当時伏見城に居住していた豊臣秀吉が、伏見城やその城下町を守ろうとして伏見城南南東約6kmにある洪水多発地帯に行わせた治水工事と思われる。秀吉が、最高権力者として各地の大名に普請を命じた。しかし、江戸時代後半には洪水のために地中に埋もれた。 |
マンション建設に伴う緊急発掘ということで、2007年6月〜12月にかけて発掘調査をしているようです。宇治川堤防のすぐ東側にあり、平たい石が敷き詰められ、崩壊防止の松杭も見られます。南北に75mにわたってこの石積みが見られ圧巻ですが、実際はもっと広い範囲だったと思うと、秀吉の権力に驚嘆するばかり。しかし、マンションが建てられる際に、この遺跡は壊されちゃうんでしょうね。残念! |