周山城(土の城)
周山城主郭から西尾根へ進むと、黒尾山への表示が出ているのでそれに従います。堀切2本を過ぎ更に7分程ハイキングコースを歩くと、土塁が見えてきます。特に案内とか表示もないのですが、土塁で城だと分かります。更に進むと喰い違い虎口もあるのですが、全体にどういうお城だったのかは良く分かりませんでした。
【感想・メモ】

【歴史】
周山城主郭
【道案内】
登城口の地図
城跡の地図
天正年間(1570年代)丹波平定を命じられた明智光秀が若狭より京都への押さえを目的として築城したと伝えられ、山頂部は主郭を中心に東西南北の尾根上に曲輪を造成。主郭東側には低い石塁で囲い込まれた通路があり、石塁上に土塀を巡らせていたと考えられる。また、虎口や井戸の跡、建物の存在を示す瓦片は織豊期に使用されたことを示し、現存する総石垣の遺構は壮大で、西尾根には土の城跡があり、支城として存在していた。天正9年8月、光秀は津田宗及と十五夜の月見を楽しみ、本能寺の変(同10年6月2日)後の同12年2月には豊臣秀吉が赴いている。

現地説明板参照
周山城主郭から西尾根経由で黒尾山方面へ進むと堀切から7分程で土の城です。
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別名
所在地 京都府京都市右京区(京北町)京北下熊田町
遺構等 曲輪、土塁、横堀
現状 山林
築城年 安土桃山時代
築城者 明智光秀
歴代城主 明智光秀
形式 山城(比220m)
周山城主郭から約15分
訪城日 2011/4 感想
しゅうざんじょう