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別名 |
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所在地 |
京都府南丹市(美山町)美山町島 |
遺構等 |
曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀、説明板 |
現状 |
山林(城山) |
築城年 |
天文18年(1549)?天正年間(1573-92)? |
築城者 |
川勝氏 |
歴代城主 |
川勝氏 |
形式 |
山城(比210m、標403m) |
訪城日 |
2011/4 |
感想 |
◎ |
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3郭南西の竪堀 |
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南丹市役所支所から南東へ約600m。美山中学校から南東の道へ入り(府道12号「和泉」信号から北東へ130m程進んで右折)300m程進んで小川を渡り、少し行くと右手にお城の説明板があり、ここに駐車します。ここから南の登山道の案内に従い、民家裏を通って沢沿いに少し進み、右手の沢を渡ったら右へ進んで山へ入ります。城跡まで登城道が整備されています。 |
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駐車場所から25分程で2郭に至ります。2郭からは西方の眺望が良く、郭にある説明板付近から主郭がある東へ土塁が延び、その先に堀切があります。主郭には展望台があるものの枝が邪魔で眺望はよくありません。主郭の西には石が入った虎口があり、主郭の東には堀切があります。また、2郭から南西へ下った3郭は土塁がしっかり取り巻き、南西隅が張り出していて、西側に明瞭な虎口もあります。更にこの3郭の西〜南にかけて畝状竪堀もあり、随分とこの西〜南の守りを厳重に固めています。2郭から北へ下った4郭には付け根付近に堀切があり、そのすぐ北(郭の西)に虎口があり、土塁が巡っていて、郭の北側に竪堀がありました。また、城内のあちこちに井戸?落とし穴?があります。全体に見やすく整備されており、特に3郭周辺は見応えがあって楽しめます。 |
【歴史】 島城がある城山の北側に位置する静原は若狭との物資流通が盛んに行われており、古くは軍事的経済的支配の上で重要な場所だった。野々村荘と呼ばれたこの地域を支配していた川勝氏が築城したと思われるが、天文18年(1549)川勝越後守政行が築いたとも、天正年間(1573-92)川勝備後守継氏が築いたともいわれ詳細不明。秦河勝を祖とする川勝氏は室町時代に足利氏に、また戦国期には織田信長、豊臣秀吉、後に徳川氏に仕えた。 |
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3郭南西の竪堀 |
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