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京都府のお城 なかやまじょう
中山城
別名
所在地 京都府舞鶴市中山
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、畝状竪堀、碑、説明板
現状 山林、神社
築城年 戦国時代
築城者 一色左京大夫
歴代城主 一色
形式 山城(比60m、標66m)
登城時間 登城口から主郭まで約25分
堀切
訪城日 2019/5/3 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
北近畿タンゴ鉄道宮津線「東雲駅」から南へ約1km。北麓の中山公民館に向かって右脇の階段から山へ入り、北尾根を登りましたが、道に灌木が多く、通行困難な箇所もあります。公民館に駐車可能です。

【感想・メモ】
南北に長い城で、連続する曲輪の間に堀切が穿たれています。南郭の方は道路拡幅工事で削られ、人が入らないせいか木々が覆っています。
城の西麓(道路から見える)に城址碑と説明板があり以前はここからも登れたのですが、工事で山が削られ、藪も酷く登れなくなったようです。北郭の西斜面に畝状竪堀がありました。

【歴史】
戦国時代、丹後国主・一色左京大夫義道が築城した。その後、沼田幸兵衛清延が城主となった。天正7年(1579)、本城に居た一色義道は、織田信長に丹後平定の命を受けた細川藤孝、明智光秀の軍勢に攻められ敗れ、中山城へ逃げ再起を計った。細川・明智勢は中山城を攻めるがなかなか落とせなかったが、城主・沼田幸兵衛が裏切り、城に火を放ったため、一色勢は総崩れとなった。一色義道らは、下畔の由良川で自刃した。


登城口
参考文献
舞鶴の山城 舞鶴山城研究会
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