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別名 |
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所在地 |
京都府舞鶴市中山 |
遺構等 |
曲輪、土塁、堀切、竪堀、畝状竪堀、碑、説明板 |
現状 |
山林、神社 |
築城年 |
戦国時代 |
築城者 |
一色左京大夫 |
歴代城主 |
一色 |
形式 |
山城(比60m、標66m) |
登城時間 |
登城口から主郭まで約25分 |
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堀切 |
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北近畿タンゴ鉄道宮津線「東雲駅」から南へ約1km。北麓の中山公民館に向かって右脇の階段から山へ入り、北尾根を登りましたが、道に灌木が多く、通行困難な箇所もあります。公民館に駐車可能です。
【感想・メモ】
南北に長い城で、連続する曲輪の間に堀切が穿たれています。南郭の方は道路拡幅工事で削られ、人が入らないせいか木々が覆っています。城の西麓(道路から見える)に城址碑と説明板があり以前はここからも登れたのですが、工事で山が削られ、藪も酷く登れなくなったようです。北郭の西斜面に畝状竪堀がありました。
【歴史】 |
戦国時代、丹後国主・一色左京大夫義道が築城した。その後、沼田幸兵衛清延が城主となった。天正7年(1579)、本城に居た一色義道は、織田信長に丹後平定の命を受けた細川藤孝、明智光秀の軍勢に攻められ敗れ、中山城へ逃げ再起を計った。細川・明智勢は中山城を攻めるがなかなか落とせなかったが、城主・沼田幸兵衛が裏切り、城に火を放ったため、一色勢は総崩れとなった。一色義道らは、下畔の由良川で自刃した。 |
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登城口 |
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