物集女城
【道案内】
城跡の地図

物集女城は周辺が住宅地になっています。まずは物集女公民館へ行き、ここに車を停め、公民館にあるジオラマを見て楽しみ、引き出しにある物集女城のパンフを頂いた。立派なパンフで、航空写真を見ると、現況と遺構の残っている場所が良く分かる。それを持って公民館から歩いて行った。城跡は公民館から北東へ100m程です。畑になっている付近に、東土塁と東堀が残っている。すぐ西側の3階建てマンションの裏手(北側)に小さな石仏や石塔が幾つかあった。ぐるりと回って堀の東側へ行ったら説明板があった。コーポやマンションが建っているが、こちら側の方が堀が良く見える。これだけ宅地化されながらも、遺構が少し残っていて嬉しかった。
【感想・メモ】

別名
所在地 京都府向日市物集女町中条
遺構等 曲輪、土塁、水堀、説明板 
現状 宅地ほか
築城年 室町後期
築城者 物集女氏
歴代城主 物集女
形式 平城
訪城日 2006/10/7 感想
府道201号で東海道新幹線、JR東海道本線をくぐり、阪急京都線も横切ります。そこから600m程西進した「御所海道」信号を過ぎ、200m程西進した次の信号を左折し、300m程南下すると右手に「物集女公民館」があります。この公民館の1本手前の路地を左折(東に入る)すると城跡です。物集女公民館に車は停めさせて頂きました。
物集女城は、中世にこの地域一帯を本拠としていた国人(土豪)物集女氏の居城跡と考えられている。織田信長が山城地域を鎮圧した後、天正元年(1573)細川藤孝は桂川西岸一帯の一職を与えられ、国人らの領土を安堵した。安堵を受けた国人らは、勝竜寺城の藤孝のもとに御礼に参上すべきだったが、物集女氏の当主忠重入道宗入は、代々の自分の領地であり参上するいわれはないと拒絶したため、勝竜寺で誘殺され、以後、同氏は衰退した。(現地説明板より)
【歴史】
もずめじょう
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