勝竜寺城
【歴史】
【感想・メモ】

北門跡

細川忠興・玉像

井戸と土塁(背後)


公園といっても毎週火曜と年末年始、夜間早朝などは閉まっていて中に入れないため注意してください。そんなこととは露知らずで初めて訪れた時は閉園日でした。園内には土塁や井戸、北門跡、忠興&玉像などがあります。公園西側は沼田丸でこちらにも井戸跡があり、この沼田丸はいつでも見学可能です。
暦応2年(1339)、細川頼春が京都へ進出する南朝方に対抗するため、北朝方(足利尊氏)の前線基地として最初築かれた。応仁・文明の乱(1467-77)で、畠山義就はこの城を西国地方における西軍の拠点とした。永録11年(1568)、松永久秀や三好三人衆が居城としていたが、織田信長に攻められて落城し、信長からこの城を与えられた細川藤孝(幽斎)が入り、城を改修した。天正10年(1582)、本能寺にて信長を討った後の山崎合戦で明智光秀はこの城を拠点としたが、秀吉に敗れ落城した。寛永10年(1633)、永井直清が入って城を修築したが、大阪高槻城に移り廃城となった。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板
城跡の地図
【道案内】
JR東海道本線(京都線)「長岡京駅」から南へ約600m。長岡京駅のすぐ東側道路を600m程南下した右手に勝竜寺城公園があり、ここが城跡です。公園西側に無料駐車場が完備されています(ただし、開園時間のみ使用可)。開園時間等の詳細はこちらをご覧下さい。「長岡京市/勝竜寺城公園の紹介」
別名
所在地 京都府長岡京市勝竜寺13-1
遺構等 曲輪、土塁、空堀、井戸、碑、説明板
現状 勝竜寺城公園
築城年 室町中期
築城者 畠山義就
歴代城主 畠山、細川
形式 平城
訪城日 2011/5 感想
しょうりゅうじじょう
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