神尾山城
別名 神尾城、神尾寺城、本目城、本梅城、本免城
所在地 京都府亀岡市宮前町宮川
遺構等 曲輪、石塁、土塁、空堀
現状 金輪寺裏山
築城年 大永6(1526)
築城者 柳本弾正
歴代城主 柳本
形式 山城(比230m)
訪城日 2006/10/7 感想
車で随分と上まで来れるため、お寺から5〜6分で城跡だ。お寺の本堂に向かって右手へ行き、左手に墓地を見ながら更に奥へ進むと登城道がある。山へ入って左手に段郭を見ながら進むと空堀があった。更に進むと虎口に石積みがあり、この空堀と石積みが最大の見所といった感じ。途中の郭には土塁が少しあり、一番高い位置に主郭があるが、全体に荒れ山になっており歩きにくく、あまり楽しくなかった。
【感想・メモ】

【道案内】
亀岡市宮前町地区の国道372号「宮前」信号を西へと国道477号へ入り、250m程進んだ路地を右折し、金輪寺の案内がある方へ進みます。途中、分岐がありますが、金輪寺の案内に従うとお寺で道路は終点となり、お寺の少し手前右手に参拝者用無料駐車場があります。城跡はお寺の裏山(北)です。
城跡の地図

かんのおさんじょう
【歴史】
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大永6年(1526)、柳本弾正が築城した。天文22年(1553)、丹波八木城主内藤国貞は、八上城の波多野秀忠らと戦い、神尾山城で討死にした。織田信長の命により、明智光秀が丹波平定をする際、八上城攻略の拠点とするため、天正期に光秀が改修したと言われる。