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別名 |
監物山城、橘城 |
所在地 |
京都府福知山市猪崎字城山 |
遺構等 |
曲輪、土塁、空堀、竪堀、碑、説明板 |
現状 |
三段池公園南西の城山 |
築城年 |
天文年間(1532-55) |
築城者 |
塩見利勝 |
歴代城主 |
塩見 |
形式 |
平山城(比20m) |
訪城日 |
2008/4/29 |
感想 |
◎ |
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主郭(左奥が櫓台) |
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由良川を「音無瀬橋」で東へ渡り、600m程東進して左折します。200m程北上すると「三段池公園」の南側駐車場があり、駐車場を右手に更に200m程北上して鋭角に左折すると右手に墓地やお堂があります。この南西の丘が城跡で、お堂前付近に駐車可能です。 |
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お堂の前に城址碑や説明板があり、ここから登ります。遊歩道があり、城跡も整備されていてとても見やすいです。主郭は広くて気持ちよく、由良川や福知山市街を見下ろせる眺めも良く、北西に櫓台があります。この主郭の北〜東〜南の三方に空堀が巻いていて見応えがあります。全体に遺構もしっかりしていて、とても楽しめるお城でした。 |
天文年間(1532-55)、塩見利勝が築城した。利勝は曾我井庄の豪族で横山城主塩見(横山)大膳大夫頼勝の三男で、天文7年、丹波松山における赤井氏との戦に勲功を立て、その一門は管領細川道永より感状を賜った。永禄8年(1565)には大槻氏を討って雀部荘を押領した。天正7年(1579)光秀の丹波平定が進められ、頑強に抵抗していた黒井城主赤井氏も陥落した。その勢いで光秀は横山城を攻め、城主横山(塩見)信房は弟・信勝と共に切腹した。光秀は更に塩見一族の和久山田城、荒川中山城を次々を焼き討ちしたため、利勝の跡を継いだ子・家利は城を自ら焼いて落ちようとしたが、敵将と奮戦して討死した。
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