| 堂奥城 | 
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主郭
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北端の堀切
| 登城口から7〜8分登って尾根に出ると溝尻城への登城道は左へ曲がりますが、ここを右手へ進むと堂奥城で、すぐ右手に竪堀と土橋を伴った堀切が連続であり、その先にも堀切があります。この上が主郭で祠があり、東へ進むと堀切があります。また主郭の北東と西側には畝状竪堀があります。是非とも溝尻城とセットで訪れてください。 | 
| 別名 | |||
| 所在地 | 京都府舞鶴市堂奥 | ||
| 遺構等 | 曲輪、堀切、竪堀、畝状竪堀、土橋 | ||
| 現状 | 山林 | ||
| 築城年 | 戦国時代 | ||
| 築城者 | 矢野氏 | ||
| 歴代城主 | 矢野氏 | ||
| 形式 | 山城(比80m、標110m) 登城口から主郭まで約10分  | 
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| 訪城日 | 2011/4 | 感想 | ○ | 
| 溝尻城から南へ延びる尾根先端が城跡です。舞鶴若狭道「舞鶴東インター」を出て右折し、府道28号で300m程北東へ進んだ信号を左折します。300m程西進した右手にある「樹徳寺」左(西)が登城口で、お寺の参拝者用駐車場(先程の信号を右折)を利用させて頂きました。 | 
北東の畝状竪堀
| 天文15年(1546)頃、矢野備後守橘朝臣達政嫡子弥三郎政秀が城主だったといわれ、元亀年間(1570-73)には矢野藤市の名も見える。 参考資料 『舞鶴の山城』舞鶴山城研究会発行 『日本城郭大系』新人物往来社発行  | 
    
| どうのおくじょう |