恒屋城
別名 高岡城、中嶋城
所在地 兵庫県姫路市香寺町恒屋
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 室町時代?
築城者 恒屋氏
歴代城主 恒屋氏
形式 山城(比150m)、標236m
登城口から主郭まで約25分
訪城日 2010/11 感想
【感想・メモ】

前城背後の土塁

前城の竪堀

横堀

道の途中で前城経由と直接本城(後城)へ行く道に分かれますが、前城経由へ進んだら、登り始めて10分程で前城に着きました。西斜面には連続竪堀があり、その上方にはお墓が幾つかありますが、曲輪は酷い藪です。曲輪の背後には50m程の長さの土塁があり、土塁が切れたと思ったら横堀が続きます。山城にこのような横堀があるのは珍しいです。横堀は途中で屈曲し、土橋から先は竪堀になっていて、その脇を登ると堀切が2本見られます。更に登ると、道が折れ曲がっていて予想外の進入路に驚かされました。本城からは眺望が良く、曲輪内も整備され、背後に堀切があります。また、竪堀から土橋を渡って横堀になった所(横堀の北)を北へ進むと竪堀が数本あるようですが、藪でよく分かりませんでした。全体に変わった縄張のお城だと思いました。
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【道案内】
登城口の地図
JR播但線「溝口駅」から北西へ約3.3km。「竹取の湯 香寺荘」から県道409号で700m程南東へ進んだ右手に「北恒屋公民館」があります。ここを左折して、40m先の1つ目路地を左折すると、50m先に恒屋城の看板があり(佑光寺の南)ここを右折します。民家の脇を進むと山に入る手前に説明板があり、ここが登城口です。車は公民館に停めると良いでしょう。
築城年は不明だが、室町時代に恒屋氏が築城したと思われる。恒屋氏は赤松氏の家臣で、嘉吉の乱(1441)に赤松満祐の呼びかけに呼応して坂本城に参集したという。最後の恒屋城主・正友は長水城主宇野政頼の五男と思われ、天正8年(1580)宇野政頼が羽柴(豊臣)秀吉に対抗して長水城に籠城したため、正友も秀吉に抵抗した。長水城落城後、正友は秀吉に許され恒屋の地に30石を与えられ、後に黒田孝高(如水)・長政父子の家臣となり九州へ移った。

参考資料:『日本城郭大系』新人物往来社発行
【歴史】

本城(後城)


城跡の地図
つねやじょう