高木大塚城
別名 朝日ヶ丘大塚付城
所在地 兵庫県三木市別所町朝日ヶ丘
遺構等 曲輪、土塁、横堀、説明板
現状 史跡公園、宅地
築城年 天正6〜8年(1578-80)
築城者 羽柴秀吉
歴代城主
形式 丘城(陣城)
訪城日 2014/12/30 感想

高木大塚城はホースランドパーク内の住宅地の一画にあり、道路から土塁と看板が見えます。単郭で古墳を利用したと思われる櫓台が中央にあるのですが、藪が密集していて近寄れません。主郭周囲にある横矢がかかった土塁のみ見て回れます。
【道案内】
【歴史】
城跡の地図
神戸電鉄粟生線「三木駅」から南西へ約1.7km。「道の駅みき」から西進して国道175号をくぐり、100m先を右折して道なりに坂を300m程上がります。上がりきってすぐを右折した左手が城跡で、周辺の道路余白に駐車しました。
または、法界寺山ノ上付城から朝日ヶ丘土塁を見て、その東端から徒歩5分程度なので、歩いて回るのもおススメ。この場合、法界寺山ノ上付城の登城口である法界寺に駐車可。
天下統一を目指した織田信長は、中国地方の戦国大名毛利氏を攻めるため、羽柴秀吉を総大将とした軍勢を播磨に侵攻させた。東播磨を領有する三木城主別所長治は織田方から毛利方へ寝返ったため、天正6年(1578)別所氏の守る三木城を包囲した(三木合戦)。戦いは天正8年1月まで約1年8ヶ月に及ぶ兵糧攻めで、「三木の干殺し」と呼ばれ、長治は籠城して飢えに苦しむ人々の命を救うため自害し開城した。この三木城攻略にて、秀吉は三木方の兵糧搬入と援軍を阻止するため三木城を包囲する付城を30余り築いたが、高木大塚城はその付城の1つである。
この付城の南東約900mにシクノ谷峯構付城、北西約800mに法界寺山ノ上付城、東南東約1.7kmに明石道峯構付城があります。

現地説明板参照
【感想・メモ】

たかぎおおつかじょう
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