【道案内】 |
城跡の地図 |
登城口の地図 |
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夢前川を県道80号「宮置橋」で東へ渡ってすぐを左折し、約800m川と並行して北上すると右手に「置塩城」石碑や看板、左手に駐車場があり(櫃蔵神社の手前)、ここが登城口です。 |
【感想・メモ】 |
登城口に「置塩城跡へ18丁」石碑があり、1丁毎に石碑があります。途中、石垣が見えたり、12丁の所に炭焼窯跡があり、登り始めて約30分で18丁の石碑や置塩城案内板に着きました。案内板の少し西に石垣があります。まずは本丸へ。更に10分程かかりました。本丸からの眺望は良く、石垣が少し見られます。この西下にも石垣があり、この西方が二の丸北曲輪群や二の丸で土塁があり、この間の堀も素晴らしいです。三の丸から更に北の北曲輪群は広く、三の丸の西側に竪堀がありました。案内板まで戻り、南西曲輪群へ下りると大石垣が見られます。あまりに広いので西曲輪群はパスしました。また、案内板すぐ南の茶室跡の東には石垣が見られます。最後に南曲輪群を見て下山しました。全体に規模が大きく、巨大な要塞といった雰囲気で感動しました。 |
【歴史】 |
嘉吉の乱で滅亡した赤松氏は、その20年後、一族の赤松政則が復興を許され、応仁の乱の時、播磨を攻めて復興した。文明元年(1469)、政則は置塩城を築き赤松氏の本城とした。天正5年(1577)、5代則房の時、織田信長の命で中国征伐を開始した羽柴秀吉に降伏した。秀吉は、中国攻めの拠点として姫路城を築城する際、置塩城を廃城として解体し、姫路城の資材として使用した。 |
【参考資料】 |
現地説明板 |