城跡の地図
若神子城
別名
所在地 山梨県北杜市須玉町若神子
遺構等 土塁、曲輪、空堀、薬研堀、模擬櫓、説明板
現状 ふるさと公園
築城年 平安期
築城者 新羅三郎義光
歴代城主 新羅(武田)
形式 山城
訪城日 2002/8/11 感想
【道案内】


【感想・メモ】
わかみこじょう
【歴史】
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国道141号「西川橋西詰」信号を西へと県道28号に入ります。そこから山道に入り、道が大きく折れ曲がりますが、一旦北へ向かい、その後南へ向かった正面が「ふるさと公園」となります。こちら側からだと公園の駐車場に入れます。「西川橋西詰」信号より南500m程の「須玉総合支所前」信号を西進した場合は、すぐ右手に公園への登り口がありますが、駐車場がありません。
場所としては、須玉町役場のすぐ西にあります。私は道案内の後者(公園の南)から登りました。町並みと山々が一望でき、向こうの方に更に高く美しい山が・・・あれっ富士山だ!と思ったら、一段と気分が良くなり、公園内を見て回りました。周辺の狼煙台の看板や薬研掘がありましたが、遺構としてはちょっと物足りない気分でした。
平安末期、「後三年の役」の功により、源義家の三男・新羅三郎義光が甲斐守に任ぜられ築城したといわれる。戦国期には武田氏の信濃侵略への国境先端として重視され、佐久口・諏訪口方面からの狼煙中継点の役割も持った。天文11年(1542)〜天文22年にかけ、武田晴信(信玄)は信濃攻略に向け何度か戦いをするが、その際たびたび若神子城を経由した。 天正10年(1582)武田氏滅亡後、甲斐は織田信長の属将・河尻氏が支配したが、同年、信長が本能寺の変で没すると、甲斐に一揆が起こり河尻秀隆は殺された。その後、徳川家康と北条氏直による甲斐争奪戦が勃発したが(天正壬午の乱)、北条氏直がこの若神子城に本陣を置き、徳川家康は新府城を本陣としたといわれる。その後、徳川と北条とで和議が成立し、甲斐は徳川領となり、まもなく若神子城は廃城となった。
薬研堀