城跡の地図
宮崎城
別名 荒山城、泊城、境城
所在地 朝日町元屋敷城山
遺構等 曲輪、土塁、堀切、石垣、説明板
現状 城山公園
築城年 寿永元(1182)
築城者 宮崎太郎
歴代城主 宮崎、柿崎、林、桑山、丹羽
形式 山城(比240m)
訪城日 2006/7/28
【道案内】


【感想・メモ】
みやざきじょう
【歴史】
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国道8号「横尾」信号から300m程南下して左折し、県道103号に入ります。300m程進むとトンネルになり、トンネルから出て600m程進むと、道路に城山の案内がありますので、そちらへと左折します。そこから山道になりますが、途中、城山が左折になる所があるのでそこは左折してください。道路の案内の「城山」に従えは大丈夫です。道路終点に城山公園用の大きな駐車場があります。
駐車場から5分程歩くと公園です。公園に入って右手トイレの手前に「鷲野曲輪虎口」の立て札があり、この上が曲輪です。トイレの背後へ行くと、どうも堀切のようです。そのまま進むと広い郭の向こう側に「宮崎城空堀」の説明板があります。ここに空堀があったようですが、戦時中に埋められ道路が造られたとのことです。ここを渡り終えた右手に城址碑があり、正面には説明板があります。この上の高台が本丸となります。本丸には標柱と石があり、とても眺望が良く、うっすらと親不知も見えます。そこから西側の二の丸、三の丸へ。こちらには石垣が残っています。三の丸には「北陸宮御墳墓」なんてのもありました。
寿永元年(1182)に京都を脱出された北陸宮は、木曽義仲に属する豪族宮崎太郎長康に護られて宮崎に居住し、八幡山即ちこの城山に公的行事を執行するための御所を造営せられました。これが宮崎城のはじまりで、後に皇位継承の望みを断たれた北陸宮が入洛後は、承久の乱(1221)の戦場となり、戦国末期には上杉方・佐々方の武将も居住し、安土桃山時代には前田家が家臣の高畠・小塚などの武士を配しておりましたが、江戸時代に入るや境関所のの整備に伴い廃城となりました。(現地説明板より)
配置図(現地説明板より)