上熊野城 |
別名 | |
所在地 | 富山市上熊野 |
遺構等 | 土塁、説明板 |
現状 | 神明社、浄蓮寺 |
築城年 | 戦国期 |
築城者 | 二宮左衛門大夫 |
歴代城主 | 二宮 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2006/7/29 |
かみくまのじょう |
北陸自動車道「富山インター」を下り、国道41号を南下します。2.5km程南下した「下熊野南」信号を左折して、県道68号に入ります。1km程東進した「悪王寺」信号を右折して、県道188号に入り、1.3km程南下すると左手に「神明社」があります。この神社から西側にある「浄蓮寺」付近が城跡です。浄蓮寺に参拝者用無料駐車場があります。 |
浄蓮寺の山門前にある説明板を読んでいると、お城に関する事も書いてありますが、神明社にはお城の説明板があります。また、神社の背後には土塁の一部が残っています。 |
この城は、戦国時代から安土桃山時代にかけて二宮左衛門大夫が居城したと伝えられています。二宮氏は、はじめ越中守護代神保長職に仕えました。元亀2年(1571)には上杉方の武将村田弥三郎・安達清蔵の拠る東福沢の津毛城を攻め、敗れたと伝えられています。天正2年(1574)には上杉方に属しました。しかし謙信の急死後、天正6年、織田信長方の武将神保長住の越中進攻の際には織田方に属すなど、知行地の安堵を得るために策をめぐらせました。祐屋山浄蓮寺の縁起では、城は上杉方の攻撃により焼かれ、後に二宮一族が城跡にこの寺を建立したと伝えています。(現地説明板より) |