福光城 |
別名 | 福光館 |
所在地 | 南砺市(福光町)福光 |
遺構等 | 曲輪、説明板 |
現状 | 栖霞園 |
築城年 | 平安末期 |
築城者 | 石黒太郎光弘 |
歴代城主 | 石黒 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2006/7/26 |
ふくみつじょう |
JR城端線「福光駅」から西へ約900m。福光駅西口から国道304号で西進して小矢部川を「福光大橋」で渡り、200m程西進した「東町」信号も過ぎ、更に400m程西進した4本目の路地を左折します。200m程南下すると右手に「本願寺西別院」がありますが、この左手が栖霞園で城跡となります。正面は、西別院を過ぎた路地を左折した左手となります。車は栖霞園の前に1台分のスペースがありますが、西別院もしくは南東へ200m程の所に福光公園があるので、そこの駐車場を利用するとよいでしょう。 |
栖霞園の入口に説明板があります。明治時代には学問の中心地となる塾になっていたようです。曲輪の跡があるだけで、他に遺構は見当たりませんが、この一区画だけ少し高台となっています。 |
寿永2年(1183)砺波山の合戦で、木曽義仲軍に加わり、平家の大軍と戦い活躍した石黒太郎光弘が、この地に城を築き、以来およそ300年間、石黒党は栄えた。一族の福光五郎、彦二郎らもここに住み、その城域は広く、濠も東西27間、南北16間あり、城の周囲は城下町として繁盛していた。文明13年(1481)石黒氏は、井波瑞泉寺一向宗徒と争い敗れ、その後の城域は荒れ放題となった。(現地説明板より) |