吉岡城
下条氏は甲斐源氏(武田氏系)小笠原氏の庶流で初代頼氏が大沢城に入り、5代続いたが断絶した。文明2年(1470)、深志小笠原政康の子の康氏が下条氏を継ぎ、文明7年、康氏が吉岡城を築き大沢より移った。天正10年(1582)織田氏の信濃・甲斐侵攻時に落城し、9代信氏・10代信正親子は三河に逃れた。11代信安は家康の助力で吉岡城に復帰したが、天正15年、12代牛千代(信正の子)の時、家中の内紛で改易となり、下条氏は滅亡した。吉岡城は江戸初期に代官所として利用されたが、寛永年間(1624-44)に取り壊された。
【歴史】
最後の道路突き当りを右折する所に「二の丸門跡」の標柱があります(下写真)。そこから西進していくと、公園までの間に堀切が2ヵ所見られます。本丸は城址公園となり、城址碑や兜石がありますが、土塁が西側隅に残っています。その西側に明瞭な堀切が残り、その西の神社の先にも堀切があります。神社の北側の通りを歩いていると「樋掛石」という城跡に関係のある石もありました。また、二の門跡から東へ進むと枡形跡の説明板があり、二郭東の枡形となります。

二の門跡

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【感想・メモ】

下條村役場から国道151号で2.5km程南下して「吉岡城北大橋」を過ぎてすぐの「ひさわ」信号を左折します(案内有)。道なりに進んで突き当りを右折し、そのまま西進すると吉岡城址公園となり、無料駐車場があります。
城跡の地図
【道案内】

主郭西の堀切


別名
所在地 長野県下條村陽皐吉岡
遺構等 曲輪、土塁、堀切、碑、説明板
現状 吉岡城城址公園
築城年 文明7(1475)
築城者 下条康氏
歴代城主 下条氏
形式 丘城
訪城日 2011/7 感想
よしおかじょう