城跡の地図
八幡松田館
別名 八幡館
所在地 千曲市(更埴市)八幡字森下
遺構等 曲輪、土塁、空堀
現状 宅地
築城年 鎌倉時代
築城者 松田氏
歴代城主 松田
形式
訪城日 2006/9/18
【道案内】


【感想・メモ】
やわたまつだやかた
【歴史】
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国道403号「稲荷山」信号を南へと県道77号に入ります。1.5km程南下すると左手に「武水分神社」がありますが、この向かい側、右手が館跡です。城跡は住宅地となっており駐車場がなかったので、私は神社の駐車場を利用させて頂きました。
武水分神社の西側が館跡ですが、まずは神社を見学しました。ここの神社はかなり立派で、広いし、大木もあり見ていて楽しく、気持ちが和らぎます。神社から道路を渡って神社西側へ行くと、松田家が史跡指定され、整備事業として工事をしていました。古い主家があり、その奥に土塁が良く残っています。かなり古い高麗門もあったので、館と関連したものかも?土塁の向こう側(西)には空堀もあり、思った以上に遺構が見られたので、満足しました。
天文22年(1553)4月、葛尾城落城後、長尾景虎、村上義清、高梨政頼の兵5千が八幡の地で武田軍を破った。更に永禄7年(1564)、上杉輝虎と武田信玄は約二ヶ月、この八幡周辺で対峙した。天正10年(1582)、松田氏の旧跡の一部を上杉景勝が遠山丹波守に知行させた。天正12年には仁科姓から松田の名跡を継がせた盛直に景勝は稲荷山在城を命じ、八幡神領一円を預けた。仁科(松田)盛直は小笠原貞慶につかず、景勝に属し更級・筑摩郡境の警備をしていた。慶長3年(1598)、景勝の会津移封に伴い盛直も会津へ移った。その時、松田縫殿助に屋敷に移り、従前どおり八幡宮を祀るよう神主職を預けた。