館之内仁科氏館
公民館の前に標柱があり、その横にお城の解説が掲示されています。周囲の田んぼから見ると、公民館は一段高い所にあり、その背後には本城の木舟城が見えます。
【感想・メモ】

別名
所在地 長野県大町市社字館之内
遺構等 碑、説明板
現状 館之内公民館
築城年 古代
築城者 仁科氏
歴代城主 仁科氏
形式
訪城日 2009/10 感想
城跡の地図
【道案内】
信濃の豪族・仁科氏の居館跡。北辺126m、何辺189m、南北261mの梯子形で、高瀬川の河岸段丘上に4〜5郭に分かれている。仁科氏の祖は大和朝廷直系の古代氏族安曇氏が、今から1500年以上前の古代、大彦命と共に東征した現新潟県能生町付近から信濃国境の三坂峠を越え、木崎湖北東の海の口に駐留し、奈良時代頃に木崎湖西南に森城を構えた。森城で力を蓄えた仁科氏は平安中期頃に仁科御厨を預かり、ここ館之内に館を構えた。更に荘園を開発し、伊勢神宮に寄進してその荘官となり、前後7世紀間以上に亘って中世の大町を治めた。仁科氏の隆盛期は平安末期から鎌倉初期にかけてで、この居館を中心に、東南約1kmの山に木舟城を築き、丹生子にも出城を築いた。鎌倉時代に入ると荘園の領域が北安曇郡北部にまで拡大し、勢力も蓄積したことから、現大町市大町に天正寺に居館を構え移った。この館は室町末期には使命を終え、廃されたと思われる。(現地説明板、『日本城郭大系』参照)

【歴史】
たてのうちにしなしやかた
JR大糸線「南大町駅」から東南東へ約1.2km。大町東小学校の西側道路を900m程南下すると「館之内公民館」があります。この付近一帯が館跡で、公民館に駐車可能です。
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