高遠城
別名 兜山城
所在地 伊那市高遠町東高遠
遺構等 曲輪、櫓、空堀、門、石垣、土塁、説明板
現状 高遠城址公園
築城年 天文16(1547)
築城者 武田信玄
歴代城主 武田、保科、秋山、小笠原、下条、毛利、
京極、保科、鳥居、水野、内藤
形式 平山城
訪城日 2006/4/22
【道案内】


【感想・メモ】
たかとおじょう
【歴史】
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市役所支所(旧高遠町役場)南方から国道361号で200m程東進して川を渡り、渡り終ってすぐを右折して国道152号に入り、100m程南下して左折し県道211号に入ります。そこから50m程行って左折し道なりに300m程行った右手に高遠城址公園があります。周辺に有料・無料駐車場があります。

詳しくはこちらをご覧下さい ・・・ 「高遠城址公園
小彼岸桜が有名な高遠城。満開時は平日でも人だらけだったので土曜日の早朝に行ってみました。そうしたら、問屋門や太鼓櫓付近は既にスゴイ人。お城をじっくり見たい場合は4月中旬〜下旬は避けた方がいいかも?でも、本当に桜は美しいです。絵島が高遠で流刑生活を送った「絵島囲み屋敷」が高遠町立歴史博物館の外にあるので(城址公園の南側)、ここも一緒に見ておくと良いでしょう。
高遠城はこの地方の名族・諏訪氏の一族である高遠氏が居城していたが、天文14年(1545)諏訪氏の上原城を攻略した武田信玄が、諏訪から杖突峠を越えて高遠に侵出した。高遠城主高遠頼継は、信玄に城を明け渡した。天文16年、信玄は伊那侵略の拠点として、山本勘助・秋山信友に命じ城を大改修した。武田時代には、保科正俊・秋山信友・武田勝頼・武田信廉・仁科盛信が城主となった。天正10年(1582)武田氏滅亡後、織田氏が支配し、高遠城攻めで功のあった毛利秀頼が城主となったが、本能寺の変で信長が急死すると、徳川家康が支配した。城主は京極高次・保科正光・正之・鳥居忠春と続き、元禄4年(1691)内藤清枚が3万3千石で入封して以後、内藤氏が8代続いて明治を迎えた。
城跡の地図