塩崎新城
別名 赤沢城
所在地 長野市篠ノ井塩崎越
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀
現状 山林
築城年 応永10年(1403)
築城者 村上満信
歴代城主 村上
形式 山城(比70m)
登城口から主郭まで約10分
訪城日 2008/8
城跡の地図
【道案内】

【感想・メモ】

しおざきしんじょう
JR篠ノ井線「稲荷山駅」から南西へ約1.6km。稲荷山駅から南西へ約900mにある「長谷寺」の東側道路を南下します。途中から長野自動車道の側道になりますが、長谷寺から700m程進むと左手に墓地があります。車はこの付近に停め、墓地から長野道沿いに250m程南下すると左手に「越将軍塚古墳」の案内がある所が登城口です。長野道の「稲荷山トンネル」の東側が城跡となります。他に、城跡の南東にある飯縄稲荷神社からも遊歩道があるようです。
応永7年(1400年)、信濃守護職小笠原長秀と村上氏を始めとする有力国人領主の連合軍との間で大塔合戦が勃発した。この戦いで守護小笠原氏が大敗し、当地は村上氏が支配した。その2年後である応永9年、室町幕府は信濃を料国として代官細川慈忠を下向させたが、国人領主らはその命に従わず、翌応永10年、再び大乱が起こった。村上満信は小笠原長秀が籠った塩崎城とは別に、この塩崎新城を築いて抵抗したが、幕府勢により落城した。戦国期には、この一帯を支配した塩崎氏が天文22年(1553)武田方に仕えたため、塩崎城とともに武田軍の川中島進出拠点として利用された。(『図解 山城探訪 第十集』参照)
【歴史】
山に入ったら鉄塔の「No.1」を目指します。ところがかなり酷い藪で、堀切を少し見た程度で、遺構をほとんど確認できませんでした。主郭から北方の西側は採石場となり、随分壊されてしまったようですが、主郭から南側は堀切や竪堀が立派なお城のようなので、夏以外に来ることをオススメします。

登城口

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