塩崎城
上がり切って左手へ進むと右手に段郭があり、城跡の南側を西へ向かいます。80m程進むとやや下方に井戸があり、少し西へ進んだ北側に石垣があります。更に西の竪堀を過ぎると三重堀切があり、ここが城跡の西端のようです。三重堀切は立派なのですが、藪と伐採された木のために見難いのが残念。三重堀切東の郭の東方に石組みの井戸があり、この東の郭は西と北が石塁で守られていて主郭のようです。北側の石塁は西隣の郭まで続いていて見応えがあるのですが、かなり藪なのが残念。更に東の郭は藪が酷くて断念しました。主郭北方斜面にも竪堀や横堀があり楽しめるお城なのですが、ちゃんと見るなら冬に来るべしです。
【感想・メモ】

主郭南東斜面の井戸

三重堀切


城跡の地図
【道案内】
登城口の地図
JR篠ノ井線「稲荷山駅」から南西へ約1km。JR稲荷山駅から県道77号で500m程南下し、「長谷観音前」信号を右折します。道なりに400m程西進し、そこから坂を上がり大きく左カーブすると「長谷寺」があります。この右手にある長谷寺駐車場に車を駐車し、長谷寺本堂右手から本堂背後への階段を上がり石仏群を越え、15分程登ると城跡です。
【歴史】

主郭北側の石塁

別名 五万長者城、白助城
所在地 長野市篠ノ井塩崎
遺構等 曲輪、土塁、竪堀、堀切、石積
現状 山林
築城年
築城者 赤沢氏
歴代城主 赤沢、塩崎氏
形式 山城(比190m)
長谷寺から主郭まで約20分
訪城日 2008/8
しおざきじょう
小笠原氏一族の赤沢氏が築城したといわれる。応永7年(1400)9月、大塔の合戦に破れた小笠原長秀がこの塩崎城に逃げ込み、長秀が京都へ去った後は一時村上氏の支配下となったが、小笠原政康が信濃守護になると村上頼清を攻め、永享8年(1436)回復した。しかし、応仁・文明年間に府中小笠原と伊那小笠原が相争い、桑原氏が代わって塩崎・四宮を領有して塩崎氏を名乗った。(『図解 山城探訪 第十集』参照)
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