箕輪城 |
別名 | |
所在地 | 箕輪町中箕輪木下13822-1 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、説明板 |
現状 | 養泰寺背後の墓地 |
築城年 | |
築城者 | 箕輪氏 |
歴代城主 | 箕輪、木下 |
形式 | 丘城 |
訪城日 | 2007/6/10 |
築城年代は不明だが、代々箕輪氏が居城した。箕輪氏は木曾氏の末流高遠太郎義信を祖とし、その嫡男箕輪左衛門尉義雄が文安2年(1445)卒と伝えられる事から、室町初期頃に築城されたと考えられる。天文初期(1532〜)福与城主の持城で木下総蔵が居城し、総蔵が下伊那へ移った後は福与城主藤沢頼親の養子・左衛門尉重時がここに拠ったが、天正10年(1582)田中城主の藤沢頼親と共に滅亡したといわれる。 |
みのわじょう |
JR飯田線「木下駅」から西へ約800m。国道153号「木下」信号から200m程南下した路地を右折します。300m程西進すると「養泰寺」が左手にありますが、これを過ぎて更に80m程西進すると左手に墓地があります。この墓地が城跡です。墓地入口に駐車可能ですが、墓地の西側には参詣者用の駐車場もありました。 |
墓地入口にお城の説明板があり、標柱は横倒しになっていました。墓地の北〜西〜南にかけては土塁がしっかり残り、西〜南には深くて立派な横堀もあります。更に、墓地の南の横堀の南には竪堀もありました。この墓地の道路北側も墓地ですが、道路が堀跡で、北側の墓地や宅地は北城です。一瞬芸ながらかなり楽しめるお城です。 |