福与城 |
別名 | 箕輪城、鎌倉城 |
所在地 | 箕輪町福与 |
遺構等 | 曲輪、空堀、土塁、堀切、碑、説明板 |
現状 | 畑 |
築城年 | 鎌倉時代 |
築城者 | 藤沢氏 |
歴代城主 | 藤沢 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2003/9/26 |
ふくよじょう |
JR「木ノ下駅」から南東へ約1.2km。国道153号「木下栄町」信号から100m程東進して天竜川を渡り、更に200m程東進して右折し、県道19号に入ります。300m程南下して左手に箕輪南小学校を通り過ぎた所を左折します。この付近から道に案内が出ていたので、それに従って行ったら、迷わずに辿り着けました。城跡前に無料駐車場が完備されています。 |
駐車場から先は下草が生えていて服にヘンテコな草がくっついて後から取るのが大変でした。南曲輪以南は畑になっていたりしたのですが、南曲輪と本曲輪の間の空堀や、本曲輪と北曲輪の空堀がよく残っていました。ただ、北曲輪へ行く道が更にスゴイ藪だったので、空堀まで確認して帰ってきました。 |
福与城は鎌倉時代に藤沢氏が築城した。天文11年(1542)、城主藤沢頼親は、武田信玄と戦って(宮川端合戦)敗北し信玄に降った。天文13年、藤沢頼親が高遠頼継と結んで信玄に叛旗を翻したため、翌天文14年、信玄は福与城を攻撃した。城主藤沢頼親は上伊那衆を結集し、深志小笠原長時、下伊那衆の小笠原、知久氏らの援軍を求めて抵抗したが、和議によって開城した。その際、城は放火で焼失し廃城となった。 |