松本城 |
別名 | 深志城 |
所在地 | 松本市丸の内 |
遺構等 | 現存天守、櫓、門、石垣、土塁、堀 |
現状 | 中央公園 |
築城年 | 天正19(1591) |
築城者 | 石川数正 |
歴代城主 | 石川、小笠原、戸田、松平、堀田、水野、戸田 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2004/5/29 |
まつもとじょう |
「松本駅」から北東へ約800m。長野自動車道「松本インター」から国道158号を1.8km程東進してJRのガードをくぐり、更に500m東進した「中央2」信号を左折します。そこから道なりに500m程北上した正面が城跡です。城跡の北西側に市営駐車場があります。 |
とにかく現存天守がカッコいい!赤い橋とよく釣り合っている。水堀や黒門など、天守以外も見所満載で楽しめます。また、民家の間に土塁が残っています(南西にある安立寺付近)。 |
松本城は、永正元年(1504)信濃国中部を治めていた甲斐源氏の名門、小笠原氏一族の島立貞永が築いた深志城に始まる。天文19年(1550)、甲斐の武田信玄に攻略され武田氏の支配下となり、信濃侵攻の戦略拠点として馬場信春が城代を務めた。天正10年(1582)武田氏滅亡後、徳川家康の支配下となったが、天正18年、豊臣秀吉が家康を関東に転封した後は、石川数正が入った。石川数正と子・康長が、天守を始め、城郭、城下町の整備を行った。石川康長改易後、松平康長や水野家などの松本藩の居城として機能した。享保11年(1726)、志摩鳥羽より戸田光慈が6万石で入り、9代続いて明治を迎えた。 |