城跡の地図
牧之島城
別名 琵琶城
所在地 信州新町牧野島
遺構等 曲輪、堀、三日月堀、土塁、碑、説明板
現状 公園、神社、宅地他
築城年 永禄9(1566)
築城者 武田信玄
歴代城主 武田、上杉、松平
形式 平城
訪城日 2006/9/16 感想
【道案内】


【感想・メモ】
まきのしまじょう
【歴史】
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国道19号「犀峡高校入口」信号を東へ入り、300m程東進して左手に「犀峡高校」を過ぎ、更に400m程東進すると城跡です。三の丸(東端)に駐車場があります。
城跡は公園や神社、宅地他になっています。道路の両側にすごく立派な空堀が見え、瞬間にウキウキした気分になります。三の丸からは三日月堀が見られ、駐車場の奥(南)からも堀が見られます。道路から見えた空堀を堪能し、二の丸へ行ったら、おばあさまがゲートボールを楽しんでいました。ゲートボール場の背後には神社があり、かなり高台になっています。そこから本丸へ行くと、枡形虎口が良く分かるものの、藪だらけでした。本丸から三の丸へも分かりやすい枡形虎口と土塁が楽しめます。神社入口にお城の説明板がありました。遠方から見ると、犀川が蛇行し三方向を天然の濠で守られ、断崖にあるこの城は、素晴らしい立地にあると感心しました。
永禄9年(1566)、越後への警護と更級・水内山部を治めるため武田信玄が馬場美濃守信房に築城させた。元亀4年(1573)5月31日信房が長篠・設楽ヶ原の合戦で戦死後、その子信春が在城したが、天正10年(1582)武田氏滅亡後は上杉景勝の属城となり、芋川親正父子が置かれた。慶長9年(1598)景勝の会津移封後、海津城主田丸直昌・森忠政が支配し、次の海津城主・松平忠輝は老臣松平信直を置いたが、元和2年(1616)忠輝が改易されると共に牧之島城も廃城となった。