長野県のお城
まえやまじょう
前山城
別名 伴野城
所在地 長野県佐久市前山
遺構等 曲輪、土塁、竪堀、堀切、碑
現状 山林
築城年 文明年間(1469-87)
築城者 伴野光利
歴代城主 伴野氏
形式 崖端城(比50m、標727m)
登城時間 登城口から主郭まで約5分
主郭背後の堀切
訪城日 2013/3 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
主郭
伴野神社背後の山が城跡。国道141号(臼田バイパス)「野沢西」信号を西へと県道145号へ入り、1.1km程西進して道なりに左前方へ進み、50m先「前山」バス停付近で県道145号が右折となる所を直進します。集落内を350m程南西へ進むと右手に「伴野神社」がありますが、この100m手前の路地(神社からだと最初の路地)を右折した突き当りが登城口です。神社付近の道路余白に駐車しました。
【感想・メモ】
城跡は整備され、登りきる直前に立派な堀切が見られます。主郭背後の堀切で、主郭には豊受大神宮が鎮座し、北側先端は展望所になっています。三方が見渡せる眺望は気持ち良く、北から東下に続く段郭も見下ろせます。最初に見た堀切の南西には細長い郭があり、その先に堀切が、更に先端には二重堀切があります。
【歴史】
鎌倉時代初期、伴野庄の地頭となった小笠原時長が伴野氏を称し、伴野城を本拠とした。文明年間(1469-87)、隣接する大井氏との抗争に伴い2.5km西方のこの要害地に伴野光利が前山城を築城し、本拠を移した。天文9年(1540)武田信虎が佐久へ侵攻した際、前山城を改修し在陣した。天文17年(1548)、武田信玄が前山城を攻め落とし、伴野氏は武田氏に属した。以後、武田氏は前山城を佐久の有力な基地とした。天正10年(1582)武田氏滅亡後、伴野氏は北条氏に属していたため徳川方の依田信蕃に攻められ前山城は落城、城主伴野信守は討死し、伴野氏は滅亡した。
登城口
参考資料
『図解 山城探訪』宮坂武男著
『長野県の中世城館跡分布調査報告書』長野県教育委員会発行
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