登城口の地図
埴原城
別名
所在地 松本市中山
遺構等 石垣、土塁、堀切、竪堀、空堀、説明板
現状 山林
築城年 鎌倉時代
築城者 村井氏
歴代城主 村井
形式 山城
訪城日 2004/5/28
【道案内】

【感想・メモ】
はいばらじょう
【歴史】
TOPページへ
県道63号「中山郵便局」から1km程南下すると左手に「蓮華寺入口」の標識と一緒に「埴原城入口」の碑や埴原城の説明板があります。そこを左折した左手に「公民館」があり、その先に「蓮華寺」があります。蓮華寺に駐車場があります。蓮華寺の裏手から登り出すと城跡へ辿り着けます。
「埴原城入口」標柱でいきなり右か直進かで悩み、エイヤーで直進したら途中から道が分からなくなり、気がつけば竪堀を直登。途中から堀切や段郭の連続になり、なんてステキなお城なんだ〜と楽しくなってきます。これらを過ぎたら、上にも説明板があり、更に登ると石が沢山転がっていました。2〜3段積んだ石が崩れたのかなぁ??主郭のまわりには石垣があり、またまた感動。一旦主郭へ入り、主郭東側の高い土塁にまた歓声。更に主郭の奥へ行くと、まるで谷のように深い堀切にまた圧倒!それを通り越すと、竪堀が畝状にあり、行けども行けども遺構があって、本当にスゴイ広い城域に驚くばかり。帰りは道を見つけたのでその道で下山しました。水が湧き出している所があり、井戸があったか?水の手だったような雰囲気です。無事下山したら、最初に迷っていた「埴原城入口」標柱に出ました。登る際、真っ直ぐじゃなく右へ行くのが正解のようです。
埴原城は埴原氏が拠った城で、鎌倉時代、埴原勅旨牧(御牧)が荘園化し、牧場地帯から西の松本盆地の南部に下り、村井に館を構えて村井氏を称した。その頃、要害城として埴原城を築城した。室町時代、小笠原氏が信濃守護職として入部したため、その支配下に入った。戦国時代に入り甲斐武田氏が信濃に侵攻をしたため、小笠原氏は本城の林城南方の敵に備え、埴原城を整備強化した。天文17年(1448)塩尻峠の戦いの後、天文19年、信玄が松本へ侵攻した時、真っ先に埴原城を攻撃し占領した。