羽場城

【感想・メモ】
羽場城は手長神社がある部分が中心となるのですが、真ん中に飯田線が通ったため、かなり破壊されています。それでも残った遺構は見応えたっぷり!手長神社の東西には土塁が残り、その周りにはかなり広くて深い横堀があります。主郭を取り巻くように2郭があるのですが、この2郭の土塁があちこちに残存しています。神社の東や南東、南西側に残る土塁を見て回ると、城域は結構広かったのだと分かります。また、国道153号沿い西側に窪地があり、その下に北ノ沢が流れていますが、この窪地は堀の名残なのかなぁと見ていました。

2郭(主郭東)の土塁

2郭(主郭南西)の土塁

中央自動車道「伊北インター」を下り、国道153号で1km程北上して「羽場」信号を過ぎます。更に200m程北上して右折し、県道203号に入ります。主郭はここから500m程東進して飯田線を横切り、すぐを左折して線路沿いに250m程北上した「手長神社」となりますが、城域は飯田線の西側まで及びます。車は手長神社付近に停めると良いでしょう。
【歴史】
天文年間(1532-55)、小笠原十二郎が居城したと言われ、戦国期には小笠原氏ゆかりの氏族が居住した。近世初頭には柴氏が一時期居館として主郭部を使用していたが、寛永13年(1636)、高遠城主の保科正之が出羽山形に移封となったのに伴い、柴氏も移住して、この城館の役割は終わった。
城跡の地図
【道案内】

主郭東側の横堀

別名
所在地 辰野町伊那富羽場
遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板
現状 手長神社、宅地
築城年
築城者
歴代城主
形式 平山城
訪城日 2007/6/10
はばじょう
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