金沢城 |
別名 | 尾山城 |
所在地 | 金沢市丸の内 |
遺構等 | 石川門、三十間長屋、復元菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓、曲輪、土塁、石垣 |
現状 | 金沢城公園 |
築城年 | 慶長年間(1596-1614) |
築城者 | 前田利家 |
歴代城主 | 前田 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2007/7/26 |
かなざわじょう |
菱櫓 |
JR北陸本線「金沢駅」から南東へ約1.5km。国道159号「橋場」信号から750m程南下した「大手町南」信号を右折します。150m程西進した突き当たりを左折し、次の「兼六園下」信号を右折した右手が城跡です。「兼六園下」信号の南東に有料駐車場があります。 詳しくはこちらをご覧下さい。金沢城公園ホームページ |
かつては金沢大学が入っていたけど、全て移転して大々的に整備されました。復元菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓となかなか格好いいです。でも、本丸はひっそりした林の中(薬草園)でちょっと淋しい。華々しくなった金沢城ですが、色んな年代の石垣が沢山見られるのが一番面白いです。 |
延徳年間(1489-92)には本願寺金沢御堂があり、加賀一向一揆の本拠となった。天正8年(1580)、柴田勝家が金沢御堂を落とし、甥の佐久間盛政を配した。盛政は石川・河北2郡13万石を領し、金沢御堂を城郭へ改修した。天正11年、賤ヶ岳合戦で羽柴秀吉に敗れた勝家は、越前北の庄城で自刃し、佐久間盛政も処刑された。天正13年、小丸山城主・前田利家が石川・河北2郡を加増され金沢城へ入った。利家・利長・利常の3代に亘り城を修築したが、慶長7年(1602)天守が焼失、更に元和6年(1620)本丸が焼失した。その後、天守は再建されず御三階櫓が代わりに建てられたが、後に御三階櫓も焼失した。以後、加賀100万石の居城として存続し、明治を迎えた。 |
石川門 |