敦賀城 |
別名 | |
所在地 | 敦賀市結城町 |
遺構等 | 碑、説明板、移築門(来迎寺) |
現状 | 真願寺一帯〜敦賀西小学校 |
築城年 | 天正11年(1583) |
築城者 | 蜂屋頼隆 |
歴代城主 | 蜂屋、大谷吉嗣、結城 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2006/10/28 |
つるがじょう |
国道8号で「気比神宮」の信号を西へ行く道へと折れます。3つ目の信号を右折すると左手に敦賀西小学校があります。また、小学校から北西へ400m程行った所に「真願寺」があります。この小学校から真願寺にかけてが城跡です。 |
小学校の正門の所に城跡碑や説明板が、また真願寺(小学校から北西へ約300m)の前にも城跡碑があります。更に、敦賀城の中門が近くの来迎寺(小学校から西へ約600m)にありました。 |
天正3年(1575)、織田信長の越前平定後、敦賀郡代に武藤宗右衛門が命じられたが、天正10年、本能寺の変で信長が没すると、翌年に蜂屋頼隆が敦賀5万石の領主となった。頼隆は、それまでの武藤氏の花城山城を廃し、新たに敦賀城を築城した。天正17年、頼隆が九州遠征中に病没し、替わって大谷吉継が入った。しかし、慶長5年(1600)、大谷吉継は関ヶ原合戦で西軍に属し戦死した。合戦後、大谷氏は改易となり、敦賀は福井城主・結城(松平)秀康の所領となったが、元和の一国一城令で廃城となった。 |
移築門(来迎寺) |