東郷槇山城 |
別名 | |
所在地 | 福井市南山町 |
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、碑、説明板 |
現状 | 城址公園 |
築城年 | 応永年間(1394-1428) |
築城者 | 朝倉正景 |
歴代城主 | 朝倉 |
形式 | 山城(比100m) |
訪城日 | 2005/10/10 |
とうごうまきやまじょう |
主郭 |
JR越美北線「越前東郷駅」から南へ約700mの城山が城跡です。JR「越前東郷駅」から200m程南下して左折し、県道180号に入ります。200m程東進して右折し、500m程南下するとお城の案内が出ていますので、そこを左折して城山へ登っていきます。車で山頂近くの二の丸まで行けます。二の丸が駐車場です。 |
二の丸が駐車場になっており、そこに城址碑と説明板があります。トイレがある隣の小山が主郭で、登っていく途中、段郭があるのですが、草ボウボウで分かりにくいです。主郭も草が生い茂っており、大きな碑だけが目立っています。駐車場から反対側へ行くと千畳敷でこちらは公園として整備してありました。土塁には3段につつじが植えられ綺麗な刈り込みで、こっちは手が入りすぎて逆に土塁が見えないよーと嘆きたくなりました。その奥に2本の堀切があり、1本目はいい感じだったので、縄張図だと更に大堀切である2本目に期待したら、こっちは道路になっていてがっくり。一方は放置して荒れた状態、一方は人の手が入り過ぎという、おかげで遺構は良く残っているのに、何故か感動がイマイチな城になってしまいました。 |
応永年間(1394-1428)、越前に入った朝倉正景が築城した。そして、朝倉氏の本拠一乗谷の重要な防衛拠点の1つとして整備していった。朝倉氏滅亡後、天正12年(1584)豊臣秀吉の臣・長谷川藤五郎秀一が東郷の地を与えられた。長谷川秀一は、始め信長に仕えていたが、本能寺の変後は秀吉に仕え、文禄の役に従軍し、文禄3年(1594)朝鮮で病没した。その後、北ノ庄城主丹羽長秀の第二子・長昌が槙山城に入ったが、関ケ原合戦で西軍に属したため領地は没収された。慶長6年(1601)、結城秀康の越前入国とともに廃城となった。 |