砕導山城

千丈ヶ嶽北西の竪堀

遊歩道を10分程登ると忠魂碑のある3郭に着き、そこから5〜6分で2郭である愛宕神社に着きます。その間に堀切が見られ、愛宕神社の目の前に高浜城が見えます。この先の妙見宮がある所が主郭ですが、それを知らずに愛宕神社の南東にある千丈ヶ嶽に行ってしまいました。千丈ヶ嶽の北西や北東に堀切や竪堀がありますが、上の郭は藪がひどかったです。千丈ヶ嶽の東方に7郭があり鉄塔が建っていますが、この付近から竹薮になります。竹薮になった段郭を歩いていたら、何が何だか分からなくなってきて、最後は6郭を見て広峰神社へ下りました。あちこちに郭があって、意味不明なお城でした。

忠魂碑

【感想・メモ】
JR小浜線「若狭高浜駅」から南へ約400m。若狭高浜駅から100m北上した国道27号「高浜駅」信号から500m程東進した「宮崎」信号を右折し、200m程南下すると正面に「佐伎治神社」があります。この神社の社殿に向かって右手に妙見山遊歩道があり、神社に参拝者用駐車場があります。

千丈ヶ嶽北東の堀切

愛宕神社

築城時期は不明だが、逸見駿河守昌経が築城したと言われる。逸見氏は、武田氏が若狭守護職として入部した永享12年(1440)以後、西若狭で水軍を中心に勢力を誇り、何度か武田氏に叛乱を起こした。永禄4年(1561)、昌経も粟屋氏の一部や丹波の松永長頼と組んで守護武田義統に叛逆したが敗退した。しかし勢力は衰えず、永禄8年には高浜城を築いて本拠とした。(『日本城郭体系11』参照)
【歴史】
城跡の地図

千丈ヶ丈北西の堀切

【道案内】
別名
所在地 高浜町宮崎
遺構等 曲輪、土塁、堀切
現状 山林
築城年
築城者 逸見駿河守昌経
歴代城主 逸見
形式 山城(比130m)
佐伎治神社から3郭(忠魂碑)まで約10分
訪城日 2008/4/30
さいちやまじょう
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