「一乗谷朝倉遺跡」東側の一乗山が城。登城口は3つあり、@三万谷ルート:越美北線「越前高田駅」南約200mの国道158号から分岐した林道美山線沿い登山口駐車場(比220m、1km、約30分)、A馬出ルート:一乗山北西の八幡神社(比430m、1.5km、約60分)B下城戸ルート:下城戸の川を隔てた東(比440m)。以前は諏訪館庭園の上にある英林塚からのルートがありましたが崩落のため通行禁止です。@が短時間で登れてお勧めですが、Aは小見放城経由で登れます(八幡神社から小見放城まで比130m、500m、約15分)。 |
【感想・メモ】 |
以前は英林塚から1時間かけて登りましたが、林道からのルートが新設されたとのことで行ってみました。最初の尾根に登るまで(約3分)がきついですが後は歩きやすいです。そこから10分程歩くと下城戸ルートとぶつかり、更に10分程で千畳敷の上の段(千畳敷との分岐がある北尾根)の畝状竪堀や堀切が見られます。主郭西側の横堀と背後の二条の堀切、二郭背後の堀切、三郭を取り巻く畝状竪堀など見応えたっぷり。千畳敷や主郭にはカタクリの花が群生していました。宿直跡からは眺望が楽しめ、石が入った虎口も見所です。その上の月見櫓や赤淵神社も土塁が巡るしっかりした郭です。千畳敷下方約30mにある不動清水まで見て戻りましたが、2時間半程楽しみました。 |
【歴史】 |
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兵庫県養父郡出身の豪族・朝倉氏は、南北朝時代に朝倉広景が主家の斯波高経に従い越前に入った。広景から5代目の教景の時、永享年間(1429-41)に築城し一乗谷を本拠とした。その後、孝景の時に最盛期を迎え、次の義景は後の15代将軍足利義昭を迎えたが、義昭は上洛できない義景を見限り、織田信長の元へ去った。天正元年(1573)義景は織田信長との戦いに敗れ教景から5代103年続いた一乗谷朝倉氏は滅亡し、一乗谷は戦火によって焼土と化した。 |
【参考資料】 |
『福井県の中・近世城館跡』福井県教育委員会発行 |