一乗谷館 |
別名 | |
所在地 | 福井市城戸ノ内町 |
遺構等 | 四脚層門、城戸跡、土塁、庭園、碑、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 永享年間(1429-41) |
築城者 | 朝倉教景 |
歴代城主 | 朝倉 |
形式 | 館 |
訪城日 | 2004/4/10 |
いちじょうだにやかた |
下城戸 |
九頭竜線「一乗谷駅」東方を走る県道31号を500m程南下し、JR越美北線を陸橋で渡ってすぐを右折して、県道18号に入ります。そのまま道なりに1.5km程行くと「一乗谷朝倉遺跡」です。駐車場は完備されています。 |
一乗谷の居館跡は整備されていて、見所満載!下城戸周辺の土塁や堀、石垣だけでも素晴らしいのに、上城戸にも遺構が残っている。更に、唐門周辺の館跡や庭園を見ていると、優雅な暮らしぶりだったのが分かります。 |
兵庫県養父郡出身の豪族・朝倉氏は、南北朝時代に朝倉広景が主家の斯波高経に従い越前に入った。広景から5代目の教景の時、永享年間(1429-41)に築城し一乗谷を本拠とした。その後、孝景の時に最盛期を迎え、次の義景は後の15代将軍足利義昭を迎えたが、義昭は上洛できない義景を見限り、織田信長の元へ去った。天正元年(1573)義景は織田信長との戦いに敗れ教景から5代103年続いた一乗谷朝倉氏は滅亡し、一乗谷は戦火によって焼土と化した。 |