花沢館
別名 花見岱館
所在地 上ノ国町勝山172-1、173
遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 中世
築城者
歴代城主
形式 山城
登城口から主郭まで約7分
訪城日 2008/7
はなざわだて
【道案内】 城跡の地図
JR「上ノ国駅」から南西へ約1.1km。上ノ国駅から国道228号で700m程西進して天の川を渡ります。渡り終わって200m程西進した左手が登城口です。
【感想・メモ】
登城口に碑があります。ここから登っていくと結構薮ですが、5分も登れば説明板がある郭に着きます。この更に上が主郭のようですが、一面薮だらけで歩き回ることが出来ませんでした。薮で遺構がしっかり確認できなかったので、あまり良く分からなかったのが残念です。
【歴史】
15世紀頃、和人・渡党と称される本州系の人々が、北海道南部への進出の拠点として築いた道南12館といわれている館の一つ。この頃、渡島半島は津軽の安東氏が「下之国」(上磯〜函館市付近)、「松前」(松前町を中心とした地域)、「上之国」(上ノ国町を中心とした地域)に守護を置いて支配した。下之国守護は茂別館、松前守護は大館、上之国守護は花沢館に居て、それぞれの地域を治めていた。本道最古の記録である『新羅之記録』には、長禄元年(1457)のコシャマインの戦いで道南12館のうち10館が陥落し、残った茂別館と花沢館に和人が集結した。その際、館主蛎崎季繁や客将の武田信広がこの館を堅く守り、この功で蠣崎氏は松前大館、茂別館主と並んで蝦夷地の三代館主の一人に昇格した。蛎崎季繁は子がなく、領主秋田の安東政季の娘を幼女とし、それに信広を配して婿としたため、信広は蠣崎姓を名乗り洲崎に館を構えた。季繁没後、信広は二つの館主として勢力を拡張し、信広死後の2代光広は永正10年(1513)蝦夷と協力して大館を攻略し、松前に移った。その後、光広は勝山に館を築き城代を配置し、花沢館を廃館とした。(現地説明板、『日本城郭大系 1』参照)