城跡の地図
JR中央線「土岐市駅」から東南東へ約1km。土岐市役所から県道69号で350m程北東へ進んだ「中央橋南」信号を過ぎ、更に350m程進んだ3本目路地を右折します。400m程南下して右手に公園がある突き当りを左折し、左手に慈徳院を過ぎて右折(案内有)、200m先を鋭角に左折(案内有)、坂を上がりながら400m程進むと城跡で駐車スペースがあります。
高山城は、建武5年(1337)美濃源氏の一族・高山伊賀守秀頼が築城したと考えられる。秀頼末裔の高山伊賀守光俊没後の弘治2年(1556)、武田信玄の命を受けた平井光行が高山へ兵を進め城主となるが、その子平井頼母は織田信長に属した。そのため、天正2年(1574)甲斐の武田勝頼の東美濃攻めによって攻略され、落城した。その後岩村城主田丸直昌の支城となったが、慶長5年(1600)関ヶ原の合戦にて西軍方となり、東軍妻木勢によって攻められ落城したと伝えられる。

参考資料
現地説明板
「里山の会」発行パンフレット
『岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集(可茂地区・東濃地区)』
【歴史】

三郭

高山城
2010年5月、ボランティア「里山の会」の方から情報を頂き再訪しました。城跡は一時、貯水場となっていましたが、地元のボランティア団体「里山の会」にて保存整備され、史跡公園として開放され、地元の方が散歩コースにしています。貯水場工事のため地形が変わっている部分もありますが、曲輪や堀切跡など表示があり往時の姿を想像できます

主郭

【感想・メモ】
【道案内】

別名
所在地 岐阜県土岐市土岐津町高山
遺構等 曲輪、碑、説明板
現状 史跡公園
築城年 建武5年(1337)
築城者 高山伊賀守秀頼
歴代城主 高山氏、平井氏
形式 山城(比50m、標180m)
訪城日 2011/12 感想
たかやまじょう
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